明治150年-アジア国際リゾートの先駆け
雲仙モダン
平成31年2月20日~8月31日
雲仙モダン
平成31年2月20日~8月31日
8月29日まで会期を延長して開催いたしました本展は終了しました。この間、2,957名の方々に入館していただきました。雲仙市長をはじめ多くの皆様から常設化の要望が寄せられていますので、リニューアルオープンを検討しています。今後ともご指導ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。ありがとうございました。
明治150年 Ladies and gentlemen,
彼らは何処からきて、何処に行ったのか
彼らは何処からきて、何処に行ったのか
18世紀半ば以降、イギリスはアジアに進出し自国の綿製品をインドへ、インドのアヘンを中国へ、中国の茶を本国へと運ぶ「三角貿易」を完成させた。更にアヘン戦争に勝利したイギリスは上海など5港の開港と香港島の割譲を清国に認めさせた。所謂「租界(居留地・SETTLEMENT)」である。その後上海にはアメリカ租界、フランス租界が開かれ1930年の上海の人口は300万人を超え、繁栄は20世紀半ば租界が終焉を迎えるまで続いた。(参考文献、榎本泰子著「上海」中公新書)
一方、上海租界に住む欧米人にとって高温多湿の熱帯モンスーン気候は耐え難いもので、彼らは彼らは標高700メートルの高原性気候と温泉、そして豊かな自然と人情の雲仙で3か月ほどの夏を過ごすのを常とした。外国航路関係の仕事に就いていて海外の事情に通じていた栗原森三は雲仙に本格的な洋式ホテル「有明(ゆうめい)ホテル」を建設した。明治37年のことである。
一方、上海租界に住む欧米人にとって高温多湿の熱帯モンスーン気候は耐え難いもので、彼らは彼らは標高700メートルの高原性気候と温泉、そして豊かな自然と人情の雲仙で3か月ほどの夏を過ごすのを常とした。外国航路関係の仕事に就いていて海外の事情に通じていた栗原森三は雲仙に本格的な洋式ホテル「有明(ゆうめい)ホテル」を建設した。明治37年のことである。
その後、雲仙には日の出ホテル、九州ホテル、温泉(うんぜん)ホテル、高来ホテルなどが開業し、上海航路が開設されると鉄道省は外貨獲得のため雲仙観光ホテルを建設した。現存する木造クラシックホテルは国の文化財に指定されている雲仙観光ホテルだけである。
日の出ホテル
九州ホテル
九州ホテルに滞在したインドの哲学者・詩人タゴール
下の写真は現在の九州ホテル外観とエントランスホール
下の写真は現在の九州ホテル外観とエントランスホール
温泉(うんぜん)ホテル
高来ホテル 雲仙観光ホテル
雲仙観光ホテル貴賓室のモデラトールランプ(精製された石油がなかった時代の貴重な古式ランプ)
雲仙観光ホテルの食卓を再現
大正11年上海航路が開設され、長崎丸とは上海丸が就航し長崎は26時間で上海と結ばれ雲仙の繁栄は続いた。
1937年(昭和12)雲仙ホテルに宿泊したヘレン・ケラーと秘書のポーリー・トムソン。下の写真はヘレン・ケラー自筆のサインがある雲仙ホテル宿泊者台帳。(雲仙お山の情報館所蔵)
銀の握りのある杖はヘレン・ケラーが使用したものではないが、女性用の素敵な杖である。
銀の握りのある杖はヘレン・ケラーが使用したものではないが、女性用の素敵な杖である。
1941年(昭和16)、日本軍はハワイ真珠湾を攻撃し上海においては停泊中のイギリスとアメリカの砲艦に降伏を迫った。降伏に応じなかったイギリスの砲艦ペトレル号は撃沈され、その轟音は上海の空を震わせたという。こうしてイギリス租界は100年の幕を閉じ、上海租界の欧米人が再び雲仙を訪れることはなかった。
(参考文献 榎本泰子著「上海」中公新書)
(参考文献 榎本泰子著「上海」中公新書)
有明ホテルRegister Bookに見る雲仙
ーホテルマンたちの栄光と挫折ー
ーホテルマンたちの栄光と挫折ー
星条旗はためく有明ホテル。 戦後、雲仙の洋式ホテルはGHQによって接収された。
有明ホテル外国人専用宿泊者台帳。1955年~1980年。約6000名の記載がある。
有明ホテルに米海兵隊員が忘れていったポッケット用聖書。
1941年William Arthur HooksKの署名がある。戦後雲仙のホテルに滞在した欧米人は米軍を中心とした将兵であった。朝鮮戦争に従軍したと思われるWilliam氏の消息は分かっていない。
1941年William Arthur HooksKの署名がある。戦後雲仙のホテルに滞在した欧米人は米軍を中心とした将兵であった。朝鮮戦争に従軍したと思われるWilliam氏の消息は分かっていない。
有明ホテルで休息を取る将兵との記念写真。女性従業員だけで40名を数えることができる。有名ホテルの採用条件は女学校を出ていること、英語が話せることで、彼女たちの多くは外地からの引揚者であった。
雲仙の湯守り・加藤家と湯元ホテル
湯元ホテルの食膳。洗朱秋海どう文汁椀、古伊万里飯碗、亀山焼向付、19Cギラマン杯
明治28年創業の加勢屋旅館の看板
雲仙地獄での殉教に因むロザリオ・磔刑基督像、聖書(1850年LONDON press)
上海からの避暑客は長崎港から陸路茂木へ、そして茂木から海路小浜に向かい雲仙へと至っていた。そこで、島原鉄道に刺激を受けた人々が長崎・諫早・愛野・千々石・木津・小浜と通じる鉄道を、と奮起したのであろう。「ポッポ屋」たちの夢であった。
今から30数年前に小浜町立木指小学校4年生が彫った「小浜鉄道物語」は編集中です。
「明治150年 雲仙モダン」開催記念特別展
文明開化の華 洋灯展
世界最高クラスの洋灯約70台を展示する特別展です。この「洋灯展」は3月末日で終了し今後公開予定はありません。この機会にぜひご覧ください。
左からロイヤル・ドルトンオイルランプ、鳥と水草のグラビールが施され朱色のホタルブクロのグローブとの調和が美しいボヘミアオイルランプ、150か所ほどのカットと渡金のブロンズが美しいフランスのオイルランプ。
中央のはオールドマイセンオイルランプ、コバルトの絵付けからブルーダニューブまたはブルーオニオンと呼ばれ、関西電力ランプミュージアムや京都の有名な骨董商「田沢」が所有しています。関西電力神戸ランプミュージアムを代表するもうひとつのオイルランプはロイヤル・ウースターの「天使のオイルランプ」です。今回展示している天使のランプはグローブ(飾りホヤ)にも天使が彫られていて完璧な保存状態です。左は「プリマヴーラ(春)」右は「エステート(夏)」
大阪を中心に作られた日本製卓上ランプ。日本の女性を彷彿させ、控えめであるが美しい。
東京芸術大学名誉教授・中林忠良先生にご来館いただきました。 平成31年2月23日
明治150年展ギャラリートーク
宅島壽雄館長と石田総一雲仙温泉観光協会会長の挨拶に続き、明治以前の雲仙修験道について元龍谷大学教授・根井浄氏からお話をいただきました。.
かつてタゴールも宿泊した九州ホテルの七條健会長からは幼少期からの雲仙の思い出を語っていただきました。
明治150年展に貴重な資料を提供していただいた元有明ホテル社長・栗原楯夫氏。
彫刻家・野島マーサさんには日本語の通訳を。
湯元ホテル元社長・加藤由美さんの雲仙温泉に対する思いがこもったスピーチには胸が熱くなりました。
ヘレン・ケラーから祖母が声をかけられたという方も参加されました。
メニューを打ち込んだ有明ホテルのタイプライターに見入る松崎博文福島大学名誉教授.
30数年前に「小浜鉄道物語」を彫った中村龍也さんも出席。今41歳の会社課長。
青山龍水の絵に見入る画家の佐藤利宗氏。 アールヌーボーの銀とガラスのエスプレッソカップ、ステキ!
雲仙素敵じゃないか
3月8日、金沢雲仙市長来館。旧雲仙ホテル宿泊者台帳のヘレン・ケラーのサインに見入る金沢市長
有明ホテルの約6000名の将兵たちの名簿もご覧になり、雲仙150年の歴史を振り返る今展覧会に雲仙温泉振興のヒントを見出す思いがすると語っておられました。